向山戦争遺跡
向山戦争遺跡は、南国市の伊達野と稲生の間を東西に延びる通称向山と呼ばれている山の尾根や斜面部に広がっています。高知平野には、太平洋戦争末期の「本土決戦」陣地が多数作られましたが、向山もその一郭を占めています。平成20年度に高知南国道路建設に伴い発掘調査を実施しました。その結果、標高65mの尾根部を中心に大小10基の陣地が構築され、これらは北斜面に掘り巡らされた交通壕で結ばれています。また、山腹を貫通する坑道は幅1.8m、高さ2m、延長72mで北斜面から南斜面に貫通するものと、中程で幅2.6mの「コ」字状に掘られた坑道からなっています。床面には90㎝の間隔で枕木が置かれ、壁には坑木痕跡が残っています。
1945年春以降、沖縄での地上戦闘が開始された4月には四国防衛の部隊として第55軍(偕部隊)が編成され、隷下の3個師団(11・155・205師団)を中心に約12万人の兵力が配備されますが、その大半が高知平野に展開していました。海岸部には特攻基地、平野部や近隣の山には陣地が数多く構築されました。当時、大本営が作成した資料によると、1㎢あたりの戦力密度は「高知正面」が最大の数値を示しており、このことからも高知平野が重視されていたのか知ることができます。戦後70年を経過し、戦争の記憶は次第に消え去ろうとしています。そのような中にあって戦争遺跡は、戦争の実相を私たちに語りかけてくれる資料として意義深いものがあると思います。
- 所在地
- 高知県南国市伊達野 GoogleMAPで表示
- 主な時代
- 近代
- 主な遺構
- 交通壕・観測用竪穴・横穴・坑道・砲床
- 主な遺物
- カスガイ・釘・ガイシ・銅線・薬莢
基本情報
備 考
その他の遺跡
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- 名称:
- 田村遺跡群
- 場所:
- 南国市田村
- 時代:
- 弥生時代
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- 名称:
- 奥谷南遺跡
- 場所:
- 南国市岡豊町小蓮
- 時代:
- 旧石器時代
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- 名称:
- 高知城跡
- 場所:
- 高知県高知市丸ノ内
- 時代:
- 近世
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- 名称:
- 下ノ坪遺跡
- 場所:
- 高知県香南市野市町西野
- 時代:
- 古代