高田遺跡
高田遺跡は、高知県香南市野市町の上岡地区から下井地区に所在し、物部川河口近くの左岸、河岸段丘上に位置します。遺跡の北側には、下ノ坪(しものつぼ)遺跡や西野遺跡群、深渕(ふかぶち)遺跡などの弥生時代から古代(奈良・平安時代)にかけて営まれた遺跡が所在しており、古来、生活に便利で交通や流通の要衝と考えられる場所です。
発掘調査は、国土交通省が計画している南国安芸道路工事建設工事に伴い、平成27年度から行われています。調査面積は平成27年度が5,600㎡、平成28年度は5,700㎡です。
平成27〜28年度の調査の結果、弥生時代の竪穴建物跡8軒と土器棺墓6基、古代の掘立柱建物跡24棟のほか、土坑や溝跡などが確認されました。遺物は弥生時代の土器や石器、古代の須恵器や土師器・土師質土器の他、金属製品や円面硯(えんめんけん)、緑釉(りょくゆう)・灰釉(かいゆう)陶器などが出土しました。
弥生時代の竪穴建物跡は、円形のものが3軒と隅丸方形のものが5軒見つかっています。大きさは円形で直径6〜7m、隅丸方形では一辺が3mの小型のものと6〜7mの大型のものがあります。また、小児用と考えられる土器棺墓が6基見つかりました。壺の胴部を棺として高杯(たかつき)の杯部や壺の下胴部で蓋をしています。竪穴建物跡に隣接したものが2基、周囲に竪穴建物跡がないものが4基あり、埋葬形態に違いが見られます。




古代の掘立柱建物跡は、方位や配置などに企画性を持っており、いくつかのまとまりに分けることができます。出土した遺物のなかで遺跡の特徴を示すものとして、奈良時代の円面硯や赤色塗彩(せきしょくとさい)土師器、平安時代の緑釉・灰釉陶器、貿易陶磁器などがあります。緑釉陶器のなかには、当時希少品であった愛知県の猿投(さなげ)産の製品が含まれています。また、木簡の修正用の文房具である刀子(とうす)が複数見つかっており、円面硯とともに事務用品として使われていたと考えられます。こうした出土遺物や建物配置の企画性から、今回見つかった掘立柱建物群は一般集落ではなく、地域の役所あるいは有力者に関連した施設であったと考えられます。
その他に平安時代の土坑墓が1基確認されています。東西方向に主軸を持つ長方形で長さ約1.5m、幅約1mです。中央部分には埋葬後に積み上げられていたと考えられる人頭大の円礫(えんれき)が集中していました。底の東端には須恵器の瓶(へい)と土師質土器の杯2個が重ねて置かれており、刀子も1点見つかっています。埋葬された人の愛用品だったのでしょうか。


現在までの調査では、古代のあとに続く中世(鎌倉・室町・戦国時代)の遺構や遺物はほとんど確認されていません。生活の痕跡が再び現れるのは近世(江戸時代)以降です。水溜などに使われたハンダ土坑や溝跡が多数見つかっています。調査区の土層を観察すると土地の低い部分に土を盛って平らに造成したことが分かります。古代以降は人が去り荒地となっていたこの地が近世以降に耕地化されて農村になったと考えられます。