弥生時代
弥生時代は中国大陸や朝鮮半島からの影響を受けて水田での稲作が行われるようになり、現在の日本文化の基礎となった時代です。また、この時代は青銅器や鉄器などの金属器が使われ始めた時代でもあります。これら金属器は朝鮮半島よりもたらされ、青銅器はおもに祭祀(さいし)の道具として、鉄器は主に実用品として使用されるようになりました。このような生活様式の変化とともに土器にも変化が現れます。縄文時代は地域色が豊かであったのに対し、弥生時代の始めには遠賀川式(おんががわしき)土器が西日本に広がり、これまで見られなかった壺や甕、高杯といった新たな土器の形が登場しました。
高知県内においても弥生時代の遺跡は数多く存在し、各地で発掘調査が行われています。高知県における弥生時代の始まりは弥生文化のみで構成された田村遺跡群(南国市)、縄文文化と弥生文化が混在した居徳遺跡群(土佐市)や入田(にゅうた)遺跡(四万十市)に分けられます。その後、淘汰されるかのように後者の遺跡は終焉を迎え、田村遺跡群に代表されるような弥生文化の集落が高知県各地に出現します。
この田村遺跡群は約400軒の竪穴建物跡や掘立柱建物跡も約280棟が確認されており、四国でも最大級の集落であったことが判明しています。この遺跡が最盛期を迎える弥生時代中期の終わりには下ノ坪遺跡や本村(ほんむら)遺跡、上ノ村(かみのむら)遺跡などの小・中規模の集落が高知県各地に出現しますが、田村遺跡群の衰退とともに消滅します。
この田村遺跡群が衰退した弥生時代後期の終わりには祈年(きねん)遺跡(南国市)や伏原遺跡(香美市)、東野土居遺跡(香南市)など高知平野の周辺地域に小・中規模の集落が数多く散在して営まれるようになり、古墳時代という新たな時代が到来します。