古墳時代
古墳時代は、考古学の時代区分で、定型化した大型の前方後円墳が出現し、古墳が作られなくなるまでの概ね3世紀半ばから7世紀までを言います。文献史学の飛鳥時代は古墳時代の終わりの時期が該当します。弥生時代には地域ごとに分かれそれぞれの首長によって収められていたクニが連合し、やがて大王のもとにヤマト王権が確立され古代の律令国家へ向かう時期です。連合したクニは同じ価値観をもとに各地で首長の墓として前方後円墳を作りました。四国では香川で78基、愛媛19基、徳島11基が確認されています。しかし、高知県においては宿毛市の平田曽我山古墳でその可能性が考えられているのみで現在まで確実なものは確認できておらず、高知県の特徴となっています。
一方で古墳時代後期には巨大な石を使った横穴式石室を持ち土佐の3大古墳と呼ばれる朝倉古墳(高知市)小蓮(こはす)古墳(南国市)、明見彦山(みょうけんひこやま)1号墳(南国市)などが作られ、こうした古墳のあり方は高知県の地域性や、ヤマト王権との関わり方を物語っていると考えられます。
また、古墳時代は強力な首長のリーダーシップのもと大規模な開発が行われ、これに伴うように祭祀が行われたと考えられています。特に灌漑に伴うと考えられる水辺の祭祀は各地で確認されており、高知県でも四万十川支流の後川の古津賀(こつか)遺跡(四万十市)や同じく四万十川支流の中筋川の具同中山(ぐどうなかやま)遺跡群(四万十市)、仁淀川に近接する居徳遺跡(土佐市)では祭祀のために使われたと考えられる遺物が置かれたような状態で多量に出土しており、大規模な河川祭祀が行われていたことがわかります。